時間が減った?増えた?

雑感

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

今回はスマホが日常になった生活の時間の使い方について少し考えたいと思います。

私が普通に携帯(当時はガラケー)を使い始めたのは大学生になってからです。その頃までは携帯は一切使わずに生活していました。つまり高校時代は携帯なしです。今思うとよくそれで生活できたな、と思いますが、当時はそれが普通でした。

どこかに遊びに行く時などはあらかじめ約束しておき、その日にその場所に行くというのが普通です。今から行くね、ごめんちょっと遅れる、みたいな今なら簡単にできる事も当時はできませんでした。なので時間に遅れないように今以上に気をつけないといけませんでした。

電車の時間は、最寄駅の時刻表カードを常に携帯し、その時間に合わせて行く感じです。もちろん乗り換え案内などないので、乗り換えは駅に着いてから時間を確認という形になります。

そう考えると、当時は結構無駄な時間があったのかな、と思ってしまいます。

スマホが出てから色々と便利になり、わからないことはすぐに調べられ、電車の乗り換えも効率的にできる。そのため昔に比べたら有効に使える時間が増えたと考えられますが、果たして本当にそうでしょうか?

便利になったためにスマホを無駄にいじる時間が増え、人との会話も少なくなる。逆に無駄な時間が増えてしまったような気がしてなりません。さらにわからないことは即座に調べられるということで、考える力も下がってしまったような気がします。これは日本だけの問題ではなく、世界的な問題でしょう。

しかしながらこの流れに逆らうことはできないと思います。だって便利なのは良いことじゃないですか。その中から本当に便利な部分は残し、便利だけどこれはやめた方がいいと思うものは淘汰する。人はきっとこのようにしてどんどん発展を遂げて行くのでしょう。

この発展の最中、犠牲となる人は出てくるでしょう。特にAmazonなどの通信販売により、配達員にはものすごい負荷がかかっていると思います。しかしながらこれはこれで配達員を増やし、結果雇用が増えるという好循環にもつながります。それに付随して様々なサービスも生まれるでしょう。

さらに人間は考えることができる生物のため、そのような負荷がかかることに対しては効率化を求めます。そこでさらなる技術の発展が展望できます。おそらく今後も人類が滅びるまで同じことの繰り返しとなるでしょう。

要するに何が言いたかったのかと言うと、便利なものはちゃんと使って、これでは自分がダメになる、と思うものはおもいきってやめましょう。そして自分の頭で考えましょう。この情報が氾濫する中から正しい解答を見つけることは、この時代必須のスキルです。そのためには本物の思考力が必要です。私もそれを身に付けたいと思います。

そんな私もiPhone Xには随分と時間を使ってしまっています。少し考え直さないといけません。しかしながらこのブログを読んで下さっている方々には有益な情報を伝えたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。

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